大鹿村内最遠の集落「日本のチベット」釜沢(かまっさわ)。
ここで本日行われるのは、小正月の浄化の儀式「オカリヤ様」。(里では一般的に「どんど焼き」と言われている)
釜沢は、南北朝の時代に南朝の東国攻略の拠点として、後醍醐天皇の第八皇子宗親(むねなが)親王が暮らしていたせいか、宮廷の形式をそのままに受け継ぐ風習が残る。
小正月の行事「どんど焼き」もその一つだ。
「どんど焼き」は日本全国で広く見られる小正月の火祭り行事だが、呼び方も様々で、地域によっては「ホンヤリ様」、「さんくろう」、「おんべ」、などといわれる。
ここ釜沢では「オカリヤ様」という。
もともとは平安時代の宮中の年中行事であったものが各地で広がり、変化し、地域それぞれ独自に根付いてきた。
釜沢で受けつがれている「オカリヤ様」は全国的にみても珍しい「床あげ式」。一般的な「どんど焼き」はドントを作ってから点火するが、釜沢の「オカリヤ様」は火種にオカリヤ様を担ぎ下ろすスタイルなのだ。一説には釜沢にしかない形式だともいわれている。
「今年はあそこの竹をつかおう」「で、中身はどうする?」
「Mさんの所に切り倒したイチョウがあったはずだけど・・・」
「死んだ木をつかっとちゃしょうない。使うのは松とかヒノキとか針葉樹だ」と、伝統を口伝するのは釜沢で生まれ育った松下隆夫さん(75)。
長年林業土木に携わった松下さんは、山の中での立ち振る舞いや山の財の扱いが身についている。段取りよく指示が飛ぶ。
「そこの木を切ってくれるかな」
若者がのこぎりで切り始める。手際良くやろうと早く手元を動かす。それを見ていた松下さんは「それじゃ息が切れるだけだで、のこぎりはなぁ、あせらんくてもいいで引くほうをゆっくりやってみ」
伝統の祭りは生活の知恵の中で営まれてきた。釜沢の暮らしで必要なものはすべてここにあるのだと思う。必要なものはどこに行けばあるのか、どれだけ借りてくることができるのか、つまり山を維持していくとうことも考えられている。そして、その資源を生かす知恵や能力が伝えれてきた。そうやって長い間行われてきた地域の祭りなのだろう。
オカリヤ様の骨組みになる竹と中に入れる、スギやヒノキ、カヤなどを山から引き下ろすと、車に積んで集会所の前に運ぶ。いよいよオカリヤ様の組み立てがはじまる。
釜沢の「オカリヤ様」は何といっても、手で吊りあげて火まで運べるように竹を組まなければいけないので、全体のバランスが重要だ。
竹と竹を組み合わせて藁ひもで組んでいく。
「はざ(※)と一緒で、縄をかける位置で倒れるか、倒れないか決まる。下をしっかり安定させて。」と、松下さんが音頭をとる。
少し離れて竹の骨組みのバランスをみる人、竹を縛り上げる人、それを支える人、材木を使いやすいように整える人、住民皆で作り上げるオカリヤ様だ。
辺りがすっかりと暗くなった夜6時、釜沢の人、旅の人、他の集落の人が集まる。
午前中から燃やしておいた火種の上に皆でオカリヤを担ぎ置く。パチパチというヒノキが燃える音とともに、勢い良く燃え始める。始めは東よりの風が吹いていたものの、しばらくすると炎が立ち上がる。真っ直ぐに伸びる火は「縁起がいい」と言われる。
高く伸びあがる真っ赤な炎と、針葉樹の香り。そしておきになった時の静けさと温かさ。赤く映し出される人の顔と顔。そのやわらかな雰囲気に歴代の人々は同じような心地よさを感じていたに違いない。年の初めの浄化の儀式だ。
誰かが「リニアが来るまでは頑張って暮らそう」といった。
ある人は無言で聞き流し、ある人は「通るはずがない」という。
この静かな集落にリニアはどんな変化をもたらすのだろうか。JR東海が長野県でいち早く工事に着手したいのがここ、釜沢だ。
集落の女性がおきになった穏やかな火を見つめて言った。
「今年は静かでおだやかな年になるに」
―――これが釜沢の願いであり、祈りであると感じた。